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■ ナイキエアに負けるな!アシックス社のαGEL搭載シューズ開発ストーリー
1984年、アシックスの当時企画開発担当、半田泰文さんは画期的な衝撃吸収素材の記事を新聞で読んだ。記事には、18メートルの高さから卵を落としても割れないで受け止める衝撃吸収材のことが掲載されていた。「これは、いける!」半田さんは、この衝撃吸収材のランニングシューズへの転用をひらめいた。
この衝撃吸収材は、静岡県清水市の鈴木総業グループのキュービック・エンジニアリング社で開発された、超衝撃吸収素材αGELだった。当時ランニングシューズ業界は一つの転換期に来ていた。70年代に花開いた市民ランニングの人気はすでに定着。全国各地で町おこしのランニング大会が開催されていた。
そのようなランニング、ジョギング人気の中で、ひざやかかとの痛みを訴えるランナーが続出した。ランナーが秒速4m前後で走ると、一歩ごとに体重の3倍の着地衝撃がかかる。フルマラソンではのべ約650トンだ。もっと足にやさしいジョギングシューズの開発競争が、シューズメーカー間で熱を帯びていた。
まず、ブルックス社が1974年、シューズのソールに軽くて衝撃吸収性のよいエチレンビニールアセテートを使用した。それまでのソールは、平たいゴムの一枚底で重く、クッション性に乏しかった。次いで話題を呼んだのが、ナイキだった。1979年ミッドソールに圧搾空気を入れて、ナイキエアを世に送り込んだ。ナイキエアは大きな衝撃を業界間に生んだ。
  とりわけ、ナイキエアに関して、アシックスには特別な感情があったという。ナイキの会長、フィリップ・ナイト氏はナイキを立ち上げる前、ブルーリボンという会社を経営していて、そこがアシックスのシューズを扱っていた関係から、アシックスはナイキを意識しないではいられなかった。「ナイキエアに勝るシューズを開発しろ!」アシックスの鬼塚会長がハッパをかける日々が続いた。
「よそのメーカーが目をつける前に早くトライしよう」開発部長の林英雄さんをリーダーに、技術陣とも連携するプロジェクトチームがかくして結成された。しかし、実際にゲルをソールに活用するのは困難を極めた。ゲルの物性はシリコーンというベタベタ、グニャグニャしていて切れない、接着できない状態で靴の底には入らなかったのだ。実験を重ね、フィラーという酸化ケイ素の粉体を添加してゲルのベタつきを抑え、小判状に切り刻んで軽くし、それをフィルムで包んだ。
衝撃吸収性を高めようとすると、安定性と反発性が失われ、前に進むエネルギーが逃げてしまう結果になる。αGELを薄くすることで、それを防ぎ、大きな衝撃を一瞬のうちに多方面へ分散吸収する驚異の特性を備えることに成功した。着地のショックだけを防いでエネルギーは生かす。シューズの走行性と安定性を兼ね備えた革命的な素材が完成したのである。
1986年7月、アシックスは「ランナーズ」誌に「近いうち、あなたの足にとんでもない経験をさせてあげよう」というイメージ広告を打った。卵が18メートルの高さから落ちても割れないαGELのCMをまだ覚えていらっしゃる方も多いだろう。1987年春、アシックスはαGEL搭載第一号の当時最高級シューズ「フリークスα」をリリース。続き「ターサー」「マラソンソーティー」を発売。これは爆発的ヒット商品となり、世界のランナーに愛用された。現在は世界のトップマラソンランナー、高橋尚子さん、サッカーではアルゼンチンワールドカップサッカーナショナルチーム代表のファン・セバスチャン・ベロン選手、シアトルマリナーズのイチロー選手もアシックスのαGEL搭載のシューズを使っている。
参考資料 ランナーズ2003年2月号 「シューズの素材に光を当てた!」