
プロテニスコーチ 長塚京子さん
αGELYOYOをご使用いただいているプロテニスコーチ長塚京子さんにお話をうかがいました。ジュニアとのレッスンの合間に、ご自身のテニスとの出会い、思い出、そして引退の理由などをにこやかに話してくださいました。

長塚京子
WAT最高ランキング28位
1996年 アトランタ五輪 日本代表
現在はジュニア育成、解説で活躍
長塚さんのレッスンを受けているジュニアの皆さん。
後列向かって右端が長塚さん、左端が高雄選手。
■テニスをはじめたきっかけは両親
テニスをはじめたきっかけは両親がテニスをしていて、それについて週末にテニスコートに行って、クレーコートの横の砂場で遊んでましたね。小2から本格的に始めましたが、もう、テニスが楽しくて楽しくて。毎日放課後はラケットを持ってすぐにテニスコートへ直行しました。ランドセルを置きに一度家に帰るんですけど、着替える時間ももったいなくて、すぐテニスに行けるように、学校にトレーナーを着て行ってこともありますね。小4で引越したんですけど、引っ越した先のマンションにテニスコートが2面あって、朝練、放課後また練習。それが中3まで続きましたね。
■テニスよりもやりたいと思うスポーツはなかった
日没までテニスをして、そのあと学習塾にも行っていたので、めまぐるしく1日が終わりましたね。 中3になってすぐの大会で、それまで負けたことのなかった子に負けたことがきっかけで、 「テニスなんかやめる」って言ったんですよ。その半年前位に、それまで習っていたコーチから別のコーチに変わったりして、ちょっとテニスが楽しくなくなっていた時期で。その時に負けたこともあり「テニスなんかやめてやる」と母に話したらと、あっさり「いいわよ」と言って私の目の前でガットをバチバチと切って「もうやらないのね」と言って。それを見て私は結構ショックだったんだけど、言ってしまった手前ひけなくてやめることになったんですけど、1週間くらいしかやめられず。
結局、学校から帰ってきてから塾に行くまでの時間、勉強する気にもなれず、何もすることがなくて。それまでは練習で見られなかった夕方のテレビアニメをぼーっと見てもおもしろくなくて。そうこうしているうちに、関東大会の時期になり、大会に出られる成績は残していたので、母親に「試合だけでもでたいなー」なんてポロっと言ったら母親がすごく怒って。「練習もしないで試合なんか出られるわけないでしょう。何考えてるの」って。それから「ヤル気があるんだったら新しくクラブを探して練習しなきゃならないんだから。どうなの。」と言われ、「頑張ります」と泣いて「頑張るからまたテニスやらせてください」と頼んで、またスタートしました。
テニスはやめられなかったですね。他のスポーツは学校でやる程度で、テニスよりもやりたいと思うスポーツはなかったですね。
■テニスをしてい楽しかったこと、つらかったこと
つらかったのは、高校2年生の時にプロを目指したいと学校を辞め、昼間から学校のことを気にせず練習して、遠征にも出て、1年間位それをやったけど、ランキングがほとんど300番台から変わらなかった時ですね。これ以上やっても上にいけないんじゃないかって思ったし、お金もかかりますからね。コーチを連れて海外遠征するのはかなりの費用がかかるので、親に負担をかけているのはわかっていましたから。1年間これだけテニスにかけてやっているのに、学校行っている時とランキングが変わらないのは、やっている意味がないと思いましたね。夏頃にそのことを、まず家族に話して、それからコーチに話したらコーチは「もうちょっとがんばってみよう」って。高校3年生の年齢の夏だったんですけど、秋に日本で国際大会が3つあって(チャレンジャーといわれる賞金総額2万5千ドルの大会)、べスト4に入れなかったらラケットおこうよ、って言われて。
私はそれまで、そのレベルの試合で1回戦勝つのがやっとで、2回戦勝ったことがなかったんです。3つのうち1つでもいいからベスト4入ったらテニスを続けよう、もし入らなかったらあきらめようってコーチに言われました。私も、最後だと思ったらそれからいい練習ができました。最初の大会がベスト8に残り、次の試合は特殊な芝生の試合だったのでスキップ(欠場)し、最後の大会は地元でもある千葉で、最後に賭けようって臨んで、ベスト4に残ったんです。
ベスト4を決める時の試合(準々決勝)の相手は、それまでの大会を優勝、準優勝ときている中国の非常に強い選手だったんですけど、どういうわけか、準々決勝当日に突然中国に帰らなきゃいけなって帰っちゃったんです。それで私がデフォ(不戦勝)で勝ってベスト4に残ったんです。もし、対戦していたら勝ち目はなかったと思うんですけど、神様が続けなさいと言ってくれているいんじゃないかと思いました。コーチも親も頑張ってもう少し続けなさい、って言ってくれました。
それからは、それまで300番台のランキングに1年もいたのに、半年もかからず3ヶ月位で100番台になりました。その間に技術的に大きく変わったわけではないですけど、気持ちが追い詰められて、後がないというところまできていましたね。それまでは、この試合に勝つと何ポイント入るとかWATのランキングがいくつ上がるだとか考えちゃって、試合だけに集中できなかったり、周りの選手が勝つと「あー自分はだめだ」と思ってしまったり、色々な無駄なことを考えていたと思う。でもこれで終わりだと決めたらテニスだけに集中できて、試合でも、出来ることは全部出そう、うまくやろうとか考えずにとにかくやれることを精一杯やろうということだけに集中できたので、それが大きかったかなと思う。
それ以後は、学校を辞めてからの1年間に比べたら、大したことなかったですね。いいことの方が多かった。
一番よかったのは、96年のフェドカップですね。ドイツと戦って、伊達さんがグラフに勝って、杉山愛ちゃんと組んだ私達のダブルスに勝敗がかかっていたので、ものすごいプレッシャーがあったんです。相手は世界NO.1のグラフと、NO.5のフーバーだったので、どう考えても勝ち目はなかったんですけど、有明コロシアムがほぼ満杯の状態で、99%私達の応援で、なんていうんでしょうね、異様な、ドイツにとっては非常に厳しいアウェーの雰囲気で。私達はみんなのパワーをもらって勝っちゃったって感じですね。 テニスって団体戦がないんですよね。ツアーに出ているとひとりきりで戦っていますから、仲間同士で応援するってことがないですし、唯一フェドカップがみんなで喜べる試合だったので、非常にうれしかったです。
■若くして引退した理由
怪我が多くて、もう、腹筋の肉離れはしょっちゅうでした。腹筋は何をやっても使う筋肉なので、テニス選手には多いんですけどね。あと左足の太ももの肉離れとか。一番のきっかけは足首の靭帯を痛めたことから、体のバランスが崩れて、それでも無理にプレーを続けてしまったので股関節とか肩とか色々なところが、1試合やるたびにどこかしら痛くなるのが続いてしまって。思い切って1年間とか長期間休みを取ればよかったのかもしれないけど、そこまで余裕もなく、ランキングのこととか考えると3ヶ月位休んだらスグ試合にでてしまって、怪我を繰り返しているうちに、気持ちの方が最後にはプッツリと切れてしまって。24才っていう年齢は早かったんですけど、自分としては限界だったかな。
■腰痛との付き合い

テニスをやっているときには腰痛はなかったんですね。腰を痛める前に他を痛めていたので、張ってるとか重たいなと感じる程度でした。コーチを始めるようになって、自分のペースで生活や練習ができなくなってからでしたね、腰痛になったのは。全て選手優先でやっていきますからね。例えば選手がラリーがしたいと言えばラリーをするし、球出しをして欲しいと言えば球出しをするし。一旦球出しに入ると、選手は動いているから温かいけど、私は体が冷えちゃうんです。じゃまた打とうかということになると、冷えた身体でいきなり打ち出すわけですから、負担というか危険極まりない、その繰り返しです。冷えて温まって冷えて温まって。それが一番悪かったと思いますね。特に冬は無理しました。
私の腰痛は、何をやってもいても痛かった。座っているだけでも痛かったし、立っている方が楽だった。靴下を履くのも辛かった。「う〜痛い痛い痛い」です。
それでも、騙し騙しコーチをやっていたんですが、お医者さんから「休みなさい。2週間安静にしなさい」とドクターストップがかかりました。このままやるとヘルニアになっちゃうよと言われ。といっても選手に練習をさせないわけにはいかないので、コートには出て、球出しとかやってました。そのときに見るに見かねた会員さんに、YOYOを紹介していただいたんです。で寝てみたら、夜眠れるし、ぐんぐんよくなりました。多分2週間も休まないでラリーが出来るようになりましたね。去年の話です。
冬にちょっと怪しくなりましたが、乗り切っちゃいました。去年に比べるとかなり練習量が増え、倍以上になってるんですよ。ジュニアの高雄が去年の秋に学校を辞めたので、昼間は彼女の練習に付き合い、夜はそのままテニススクールのレッスンがありますから。夜だけのレッスンだったのが、昼間もやるようになって1年たって無事でいるというのは奇跡的だと思うんですよ。ほんとに、何をやっても痛かったので、腰痛ってこんななんだって思いました。
やっぱり夜って大事なんですね。それまでうつ伏せか横向きでしか寝られなかったのが、仰向けで寝られるようになって、不思議なんですけど、朝目が覚めたときに疲れが取れてるなって実感しましたね。それまでは朝起きても、しんどいな、もう朝が来ちゃったって感じだったのが、ちゃんとしゃきんと起きられて。
遠征先で、違うベッドで寝ると違いがよくわかりますね。まず首がおかしくなって、そうこうしているうちに、腰も怪しいぞってなってきて、1ヶ月位遠征に出たままだと、また来ちゃうんじゃないかと思いますね。他のベットで寝ると、YOYOがいかに良いかよくわかります。母もYOYOに寝てるんですけど、母も同じことを言ってます。
■今後の抱負

とにかくプロになりたての選手(高雄恵利加選手)をひとりかかえているので、プロになったとは言えまだ1人前ではなくて、まだまだこれからというところですから、グランドスラムの大会、ウインブルドンとかUSオープンとかに出られるようになって初めて1人前だと思っているので、早くそこまで押し上げたいと思っています。他にもワールドユースに出ている選手もいるので、2人目3人目とプロになる選手が出てくれるようにと思っています。
コーチとしては、怖がられているみたいなんですよね、子供達に。「ちょっといい。自分の胸に手を当てて考えてごらん、何が悪かったかわかってるよね」って言うんですけど。 勿論パーンと言うこともありますが、あまりガンガン言うようなこともないんですよ。みんな強くなりたくて一生懸命やっている子達なので、みんな一生懸命だから、一生懸命やって出来ないことに対して「何で出来ないんだ」とは言えませんね。足が動いてないとか横着している時は言いますけど、出来ないで苦しんでいる時に言うことは出来ない。出来ないからレッスンに来ているわけで、自分もそうだったし。私も、何で出来ないんだって言われたら出来ないから来てるんだって言いたいし、出来ないのは私の責任でもありますから。
今回のインタビューは、5月18日、長塚さんがコーチをされている「アートヒルテニスクラブ」にて伺いました。