
スピードスケート 今井裕介さん
αGELYOYOをご使用いただいているソルトレイク五輪日本代表選手・今井裕介さん(スピードスケート)にお話をうかがいました。スケートとの出会いや人生の転機、ボディケアまで。今井さんのざっくばらんなお話をお届けします!

【プロフィール】
今井裕介
1977年 9月20日生まれ
1998年 長野オリンピック出場
2002年 ソルトレイクシティーオリンピック出場
2002年 現在の実業団チームとは異なった選手自身がトータルマネジメントをしていくチーム「Team Desporte」(チームディスポルテ)を設立。
■原点は、カルガリーオリンピック
スケートを始めたのは小学1年生ですね。僕の地元・長野県の小学校では、冬に田んぼに水を撒いてリンクにして滑るんです。だからスケート自体、身近にあるものでした。本格的にスケートを始めたきっかけは小学校4年の時。88年なんですけど、カルガリーオリンピックがあったんです。スピードスケートで日本代表だった黒岩彰さんが銅メダルを取ったんですよ。それに刺激されて「自分もオリンピックに出るんだ!」と思いました。ただその当時、オリンピックって、サラエボかカルガリーでしかやってないものだと思っていて。「いつか、サラエボかカルガリーオリンピックに出たい!」って。小学校の文集にはそうやって書いてあります(笑)
で、オリンピックへの思いを胸に、実業団のクラブチームに入りました。当時はショートトラックとスピードスケート両方やっていて、どちらかというとショートトラックでオリンピックに出たいと思ってたんですよ。でも、そう思っているうちに長野オリンピックが開催されることがわかって。今度は、ショートトラックでも、スピードスケートでもオリンピックに出たくなった。両方で選ばれる選手になりたい。そう、思ったんです。ただ、そこで腰を痛めちゃって。ショートトラックでは思うような滑りができなくなった。あとは、高校2年生のときに、ショートトラックでは世界選手権に出れたんですよ。なんか、そこでひとつの達成感があって。夢へのパワーが切れちゃったのかな。そんな中、高校3年生のときにスピードスケートでワールドカップの代表選手に選ばれたんです。1500Mで。その時のチームがすごかった。コーチに黒岩彰、選手に青柳徹・佐藤和広。カルガリーオリンピックの日本代表選手がいたんですよ。チームに。その瞬間に、「ああ、オレはここにいたい!」って思った。やっぱり原点ですから。それからはもう、ずっとスピードスケート一本に決めました。
■2度の転機、いよいよフリーに。

大学は山梨学院大学へ行きました。こっから辛い時代ですね。それまでは実業団のクラブチームで、中高生にしてはものすごく恵まれた練習環境にいたんですよ。設備も整ってるし、世界レベルのチームメイトに混じってトレーニングできてたから。それが大学に入ってがらっと変わってしまって。設備がまったく整ってない!事前に調べたりもしてなかったんですよ。それまで、わりととんとん拍子にきてたから「どこにいったって、やれる!」って甘い考えがありました。
あとは…はじけちゃったんですよ(笑)長野の田舎から山梨のちょっとした都会に出てきて。先輩と飲みに行ったり、パチンコやったり。だから入学してから1年間はあんまり練習しなかった。それでいざシーズンを迎えてみたら、ワールドカップの選考に落ちました。それでやっと目が覚めた。ちゃんと長野オリンピックも現実的に意識し始めた。練習も、与えられた環境の中でやるしかない。監督もほぼいないような状態だったので、自分でメニュー作って練習してました。それで何とか長野にも間に合って。だから、今、当時のオリンピックの解説を聞くと「何とか間に合った今井裕介」って結構言われてます(笑) 当時を振り返ると、いろいろ経験して人間的には成長できたけど、スケート選手としては、ちょっともったいない時間だったのかな、と思うこともありますね。
それから卒業して実業団に入りました。ソルトレイクを目指して頑張っていたんですが、腰を痛めたり、いよいよオリンピックという年に所属チームが廃部になったりでやっぱり結果を残せなかった。でも、そこが転機でしたね。チームが無くなって、いろいろ考えました。やっぱり会社に支えられてた部分も大きかったですよ。いざ、一人になってみると、今までコーチやマネージャーにやってもらっていたことを全部自分でやらなくちゃいけない。でも、一人じゃ何もできない。そこでまた気がつきました。それまで自分の力で何もかもできると思っていて。勘違いしてたんですよ。支えられていたんだなと。
結局フリーになって、個人で活動する選手を集めて、チーム・ディスポルテを立ち上げました。会社に所属するっていうのではなく、これからの時代、選手個人がスポンサーも探して、自由にコーチを選べたり、練習したりできる環境が必要になってくると思うし、なおかつ自分の環境は自分で作っていく、そういう環境になっていくと思います。欧米ではこのパターンが多いですが、まあ、日本人が一番苦手なことだったりするので、さきがけになれればいいなと。だから今は、清水さんと一緒に二人で合宿やったり。彼も実業団の選手ではなくて、僕と同じ立場なんで。それは実業団チームにいたら実現できなかったことですよね。
フリーになって最初の一年は、環境を整えるのに大変で、どちらかというと練習に打ち込めた年ではなかったんですが、人とのつながりを実感できて、人生的にプラスになったと思います。そして今、やっと足場ができた状態ですね。だからあとは、トリノオリンピックに向けて、自分でやるだけ。とにかく頑張るだけです。
■今井裕介、αGELYOYOにこだわる

今年の5月に清水さんと合同で合宿をすることになって、その拠点が千倉のホテル「イソラ・ベッラ」だったんです。そこで、オーナーから「こういうマットがあるんだよ、使ってみる?」って紹介されて。とりあえず、ボディケアに関しては、何でも試してみることにしているので。「じゃあ、試します!」みたいなね。そしたら、すごく寝れたんですよ!熟睡で。僕は枕が替わると寝れないタイプなんですけど。練習や試合で、結構いろんな地方に行きますが、まずビジネスホテルが嫌なんです。何故かというと、ベッドマットが傾いてるんですよ。TVの方向に向かって斜めになってるんです。皆、TVを見る位置に腰掛けるからだと思うんですけど。
僕、ものすごくそれが気になるんですよ。そうするともう、寝れない。寝る前に確認して、斜めになってたらマットをひっくり返したりとか。勝手に(笑)ビジネスホテルのベッドを自分でベッドメイキング(笑)よくやります。だから寝具に関しては結構シビアなんです。
で、αGELYOYOに関しては、何も感じずに熟睡。包み込まれるって、こういうことなのかなって思いました。それからはもう、その感触がないと寝れないくらい。先日、北海道で合宿した時も寝れなくて…途中でαGELYOYOの三つ折を合宿先に送ってもらったくらいです。 これから海外の合宿にも送ろうと思ってます。とりあえずは10月から長野で始まる全日本の合宿に持ってきますよ(笑)僕的にはそれぐらい大ヒットでした。本当に深く眠れるし。
僕は貧血体質で、練習がこんでくるとすぐ貧血になってしまう。どんなに鉄分をとってもだめ。それって疲れすぎて寝れなくて、疲労が取れないせいでもあったと思うんですよ。でも、αGELYOYOで寝るようになってから変わりました。どんなにきつい練習をしても、ぐっすり眠れるから朝の目覚めもいい。疲労も残らない。
あとは、腰痛サポートという意味では、僕より妻のほうが感激してます。妻は背中から腰にかけての湾曲がひどくて、痛くて眠れなかったんですよ。つらいつらいって毎晩言っていて。それがαGELYOYOを使うようになってから、やっぱり熟睡できるようになった。マットレスをαGELYOYOに代える以外のことは何もしていないのに、それまでずっと悩んでいた腰痛がよくなった。これはすごいことですよ。
クールピローレギュラーも愛用してます。がんがん練習をした後って、身体が火照って寝れないことが良くあります。そんな時、クールピローレギュラーがあるとないとでは相当違う。暑いのは身体全体なんですけど、頭部から熱を吸収するだけでも、こんなに違うんだ!と実感しました。なので、クール系でなにか、足に使うものなんかがあればいいな、といつも考えてますね(笑) これからトリノに向けて海外での合宿が増えます。αGELYOYOは本当に持っていくつもりですよ(笑)トリノオリンピックの目標はずばりメダルですから、しっかり練習して、疲労回復して、がんばります。応援よろしくお願いしますね。
今回今井選手にインタビューさせていただいた場所は Cafe Hotel Isola Bella カフェ ホテル イソラ ベッラ (αGELYOYO体感ホテル)
季節を問わずサーフィンなどのマリンスポーツが楽しめ、トレーニングにも最適な千倉リゾートのカフェホテル「イソラ・ベッラ」。 インテリアからアメニティグッズまですべてが“癒し”をテーマにピックアップされおり、 αGELYOYOを設置している部屋もございます。http://www.breath1.net/isolabella/