プロ、アスリートインタビュー

2007年03月08日

プロテニスコーチ 長塚京子さん

プロテニスコーチ 長塚京子さん
αGELYOYOをご使用いただいているプロテニスコーチ長塚京子さんにお話をうかがいました。ジュニアとのレッスンの合間に、ご自身のテニスとの出会い、思い出、そして引退の理由などをにこやかに話してくださいました。






長塚京子
WAT最高ランキング28位
1996年 アトランタ五輪 日本代表
現在はジュニア育成、解説で活躍


長塚さんのレッスンを受けているジュニアの皆さん。
後列向かって右端が長塚さん、左端が高雄選手。


■テニスをはじめたきっかけは両親
テニスをはじめたきっかけは両親がテニスをしていて、それについて週末にテニスコートに行って、クレーコートの横の砂場で遊んでましたね。小2から本格的に始めましたが、もう、テニスが楽しくて楽しくて。毎日放課後はラケットを持ってすぐにテニスコートへ直行しました。ランドセルを置きに一度家に帰るんですけど、着替える時間ももったいなくて、すぐテニスに行けるように、学校にトレーナーを着て行ってこともありますね。小4で引越したんですけど、引っ越した先のマンションにテニスコートが2面あって、朝練、放課後また練習。それが中3まで続きましたね。

■テニスよりもやりたいと思うスポーツはなかった
日没までテニスをして、そのあと学習塾にも行っていたので、めまぐるしく1日が終わりましたね。 中3になってすぐの大会で、それまで負けたことのなかった子に負けたことがきっかけで、 「テニスなんかやめる」って言ったんですよ。その半年前位に、それまで習っていたコーチから別のコーチに変わったりして、ちょっとテニスが楽しくなくなっていた時期で。その時に負けたこともあり「テニスなんかやめてやる」と母に話したらと、あっさり「いいわよ」と言って私の目の前でガットをバチバチと切って「もうやらないのね」と言って。それを見て私は結構ショックだったんだけど、言ってしまった手前ひけなくてやめることになったんですけど、1週間くらいしかやめられず。   
結局、学校から帰ってきてから塾に行くまでの時間、勉強する気にもなれず、何もすることがなくて。それまでは練習で見られなかった夕方のテレビアニメをぼーっと見てもおもしろくなくて。そうこうしているうちに、関東大会の時期になり、大会に出られる成績は残していたので、母親に「試合だけでもでたいなー」なんてポロっと言ったら母親がすごく怒って。「練習もしないで試合なんか出られるわけないでしょう。何考えてるの」って。それから「ヤル気があるんだったら新しくクラブを探して練習しなきゃならないんだから。どうなの。」と言われ、「頑張ります」と泣いて「頑張るからまたテニスやらせてください」と頼んで、またスタートしました。
 テニスはやめられなかったですね。他のスポーツは学校でやる程度で、テニスよりもやりたいと思うスポーツはなかったですね。

■テニスをしてい楽しかったこと、つらかったこと
つらかったのは、高校2年生の時にプロを目指したいと学校を辞め、昼間から学校のことを気にせず練習して、遠征にも出て、1年間位それをやったけど、ランキングがほとんど300番台から変わらなかった時ですね。これ以上やっても上にいけないんじゃないかって思ったし、お金もかかりますからね。コーチを連れて海外遠征するのはかなりの費用がかかるので、親に負担をかけているのはわかっていましたから。1年間これだけテニスにかけてやっているのに、学校行っている時とランキングが変わらないのは、やっている意味がないと思いましたね。夏頃にそのことを、まず家族に話して、それからコーチに話したらコーチは「もうちょっとがんばってみよう」って。高校3年生の年齢の夏だったんですけど、秋に日本で国際大会が3つあって(チャレンジャーといわれる賞金総額2万5千ドルの大会)、べスト4に入れなかったらラケットおこうよ、って言われて。
  私はそれまで、そのレベルの試合で1回戦勝つのがやっとで、2回戦勝ったことがなかったんです。3つのうち1つでもいいからベスト4入ったらテニスを続けよう、もし入らなかったらあきらめようってコーチに言われました。私も、最後だと思ったらそれからいい練習ができました。最初の大会がベスト8に残り、次の試合は特殊な芝生の試合だったのでスキップ(欠場)し、最後の大会は地元でもある千葉で、最後に賭けようって臨んで、ベスト4に残ったんです。
  ベスト4を決める時の試合(準々決勝)の相手は、それまでの大会を優勝、準優勝ときている中国の非常に強い選手だったんですけど、どういうわけか、準々決勝当日に突然中国に帰らなきゃいけなって帰っちゃったんです。それで私がデフォ(不戦勝)で勝ってベスト4に残ったんです。もし、対戦していたら勝ち目はなかったと思うんですけど、神様が続けなさいと言ってくれているいんじゃないかと思いました。コーチも親も頑張ってもう少し続けなさい、って言ってくれました。  
それからは、それまで300番台のランキングに1年もいたのに、半年もかからず3ヶ月位で100番台になりました。その間に技術的に大きく変わったわけではないですけど、気持ちが追い詰められて、後がないというところまできていましたね。それまでは、この試合に勝つと何ポイント入るとかWATのランキングがいくつ上がるだとか考えちゃって、試合だけに集中できなかったり、周りの選手が勝つと「あー自分はだめだ」と思ってしまったり、色々な無駄なことを考えていたと思う。でもこれで終わりだと決めたらテニスだけに集中できて、試合でも、出来ることは全部出そう、うまくやろうとか考えずにとにかくやれることを精一杯やろうということだけに集中できたので、それが大きかったかなと思う。
  それ以後は、学校を辞めてからの1年間に比べたら、大したことなかったですね。いいことの方が多かった。
  一番よかったのは、96年のフェドカップですね。ドイツと戦って、伊達さんがグラフに勝って、杉山愛ちゃんと組んだ私達のダブルスに勝敗がかかっていたので、ものすごいプレッシャーがあったんです。相手は世界NO.1のグラフと、NO.5のフーバーだったので、どう考えても勝ち目はなかったんですけど、有明コロシアムがほぼ満杯の状態で、99%私達の応援で、なんていうんでしょうね、異様な、ドイツにとっては非常に厳しいアウェーの雰囲気で。私達はみんなのパワーをもらって勝っちゃったって感じですね。 テニスって団体戦がないんですよね。ツアーに出ているとひとりきりで戦っていますから、仲間同士で応援するってことがないですし、唯一フェドカップがみんなで喜べる試合だったので、非常にうれしかったです。

■若くして引退した理由
怪我が多くて、もう、腹筋の肉離れはしょっちゅうでした。腹筋は何をやっても使う筋肉なので、テニス選手には多いんですけどね。あと左足の太ももの肉離れとか。一番のきっかけは足首の靭帯を痛めたことから、体のバランスが崩れて、それでも無理にプレーを続けてしまったので股関節とか肩とか色々なところが、1試合やるたびにどこかしら痛くなるのが続いてしまって。思い切って1年間とか長期間休みを取ればよかったのかもしれないけど、そこまで余裕もなく、ランキングのこととか考えると3ヶ月位休んだらスグ試合にでてしまって、怪我を繰り返しているうちに、気持ちの方が最後にはプッツリと切れてしまって。24才っていう年齢は早かったんですけど、自分としては限界だったかな。

■腰痛との付き合い

テニスをやっているときには腰痛はなかったんですね。腰を痛める前に他を痛めていたので、張ってるとか重たいなと感じる程度でした。コーチを始めるようになって、自分のペースで生活や練習ができなくなってからでしたね、腰痛になったのは。全て選手優先でやっていきますからね。例えば選手がラリーがしたいと言えばラリーをするし、球出しをして欲しいと言えば球出しをするし。一旦球出しに入ると、選手は動いているから温かいけど、私は体が冷えちゃうんです。じゃまた打とうかということになると、冷えた身体でいきなり打ち出すわけですから、負担というか危険極まりない、その繰り返しです。冷えて温まって冷えて温まって。それが一番悪かったと思いますね。特に冬は無理しました。
  私の腰痛は、何をやってもいても痛かった。座っているだけでも痛かったし、立っている方が楽だった。靴下を履くのも辛かった。「う〜痛い痛い痛い」です。
それでも、騙し騙しコーチをやっていたんですが、お医者さんから「休みなさい。2週間安静にしなさい」とドクターストップがかかりました。このままやるとヘルニアになっちゃうよと言われ。といっても選手に練習をさせないわけにはいかないので、コートには出て、球出しとかやってました。そのときに見るに見かねた会員さんに、YOYOを紹介していただいたんです。で寝てみたら、夜眠れるし、ぐんぐんよくなりました。多分2週間も休まないでラリーが出来るようになりましたね。去年の話です。
  冬にちょっと怪しくなりましたが、乗り切っちゃいました。去年に比べるとかなり練習量が増え、倍以上になってるんですよ。ジュニアの高雄が去年の秋に学校を辞めたので、昼間は彼女の練習に付き合い、夜はそのままテニススクールのレッスンがありますから。夜だけのレッスンだったのが、昼間もやるようになって1年たって無事でいるというのは奇跡的だと思うんですよ。ほんとに、何をやっても痛かったので、腰痛ってこんななんだって思いました。
  やっぱり夜って大事なんですね。それまでうつ伏せか横向きでしか寝られなかったのが、仰向けで寝られるようになって、不思議なんですけど、朝目が覚めたときに疲れが取れてるなって実感しましたね。それまでは朝起きても、しんどいな、もう朝が来ちゃったって感じだったのが、ちゃんとしゃきんと起きられて。
遠征先で、違うベッドで寝ると違いがよくわかりますね。まず首がおかしくなって、そうこうしているうちに、腰も怪しいぞってなってきて、1ヶ月位遠征に出たままだと、また来ちゃうんじゃないかと思いますね。他のベットで寝ると、YOYOがいかに良いかよくわかります。母もYOYOに寝てるんですけど、母も同じことを言ってます。

■今後の抱負

とにかくプロになりたての選手(高雄恵利加選手)をひとりかかえているので、プロになったとは言えまだ1人前ではなくて、まだまだこれからというところですから、グランドスラムの大会、ウインブルドンとかUSオープンとかに出られるようになって初めて1人前だと思っているので、早くそこまで押し上げたいと思っています。他にもワールドユースに出ている選手もいるので、2人目3人目とプロになる選手が出てくれるようにと思っています。  
コーチとしては、怖がられているみたいなんですよね、子供達に。「ちょっといい。自分の胸に手を当てて考えてごらん、何が悪かったかわかってるよね」って言うんですけど。 勿論パーンと言うこともありますが、あまりガンガン言うようなこともないんですよ。みんな強くなりたくて一生懸命やっている子達なので、みんな一生懸命だから、一生懸命やって出来ないことに対して「何で出来ないんだ」とは言えませんね。足が動いてないとか横着している時は言いますけど、出来ないで苦しんでいる時に言うことは出来ない。出来ないからレッスンに来ているわけで、自分もそうだったし。私も、何で出来ないんだって言われたら出来ないから来てるんだって言いたいし、出来ないのは私の責任でもありますから。

今回のインタビューは、5月18日、長塚さんがコーチをされている「アートヒルテニスクラブ」にて伺いました。

スピードスケート 今井裕介さん


スピードスケート 今井裕介さん
αGELYOYOをご使用いただいているソルトレイク五輪日本代表選手・今井裕介さん(スピードスケート)にお話をうかがいました。スケートとの出会いや人生の転機、ボディケアまで。今井さんのざっくばらんなお話をお届けします!






【プロフィール】
今井裕介
1977年 9月20日生まれ
1998年 長野オリンピック出場
2002年 ソルトレイクシティーオリンピック出場
2002年 現在の実業団チームとは異なった選手自身がトータルマネジメントをしていくチーム「Team Desporte」(チームディスポルテ)を設立。


■原点は、カルガリーオリンピック
スケートを始めたのは小学1年生ですね。僕の地元・長野県の小学校では、冬に田んぼに水を撒いてリンクにして滑るんです。だからスケート自体、身近にあるものでした。本格的にスケートを始めたきっかけは小学校4年の時。88年なんですけど、カルガリーオリンピックがあったんです。スピードスケートで日本代表だった黒岩彰さんが銅メダルを取ったんですよ。それに刺激されて「自分もオリンピックに出るんだ!」と思いました。ただその当時、オリンピックって、サラエボかカルガリーでしかやってないものだと思っていて。「いつか、サラエボかカルガリーオリンピックに出たい!」って。小学校の文集にはそうやって書いてあります(笑)
 で、オリンピックへの思いを胸に、実業団のクラブチームに入りました。当時はショートトラックとスピードスケート両方やっていて、どちらかというとショートトラックでオリンピックに出たいと思ってたんですよ。でも、そう思っているうちに長野オリンピックが開催されることがわかって。今度は、ショートトラックでも、スピードスケートでもオリンピックに出たくなった。両方で選ばれる選手になりたい。そう、思ったんです。ただ、そこで腰を痛めちゃって。ショートトラックでは思うような滑りができなくなった。あとは、高校2年生のときに、ショートトラックでは世界選手権に出れたんですよ。なんか、そこでひとつの達成感があって。夢へのパワーが切れちゃったのかな。そんな中、高校3年生のときにスピードスケートでワールドカップの代表選手に選ばれたんです。1500Mで。その時のチームがすごかった。コーチに黒岩彰、選手に青柳徹・佐藤和広。カルガリーオリンピックの日本代表選手がいたんですよ。チームに。その瞬間に、「ああ、オレはここにいたい!」って思った。やっぱり原点ですから。それからはもう、ずっとスピードスケート一本に決めました。


■2度の転機、いよいよフリーに。

大学は山梨学院大学へ行きました。こっから辛い時代ですね。それまでは実業団のクラブチームで、中高生にしてはものすごく恵まれた練習環境にいたんですよ。設備も整ってるし、世界レベルのチームメイトに混じってトレーニングできてたから。それが大学に入ってがらっと変わってしまって。設備がまったく整ってない!事前に調べたりもしてなかったんですよ。それまで、わりととんとん拍子にきてたから「どこにいったって、やれる!」って甘い考えがありました。
あとは…はじけちゃったんですよ(笑)長野の田舎から山梨のちょっとした都会に出てきて。先輩と飲みに行ったり、パチンコやったり。だから入学してから1年間はあんまり練習しなかった。それでいざシーズンを迎えてみたら、ワールドカップの選考に落ちました。それでやっと目が覚めた。ちゃんと長野オリンピックも現実的に意識し始めた。練習も、与えられた環境の中でやるしかない。監督もほぼいないような状態だったので、自分でメニュー作って練習してました。それで何とか長野にも間に合って。だから、今、当時のオリンピックの解説を聞くと「何とか間に合った今井裕介」って結構言われてます(笑) 当時を振り返ると、いろいろ経験して人間的には成長できたけど、スケート選手としては、ちょっともったいない時間だったのかな、と思うこともありますね。
  それから卒業して実業団に入りました。ソルトレイクを目指して頑張っていたんですが、腰を痛めたり、いよいよオリンピックという年に所属チームが廃部になったりでやっぱり結果を残せなかった。でも、そこが転機でしたね。チームが無くなって、いろいろ考えました。やっぱり会社に支えられてた部分も大きかったですよ。いざ、一人になってみると、今までコーチやマネージャーにやってもらっていたことを全部自分でやらなくちゃいけない。でも、一人じゃ何もできない。そこでまた気がつきました。それまで自分の力で何もかもできると思っていて。勘違いしてたんですよ。支えられていたんだなと。 
 結局フリーになって、個人で活動する選手を集めて、チーム・ディスポルテを立ち上げました。会社に所属するっていうのではなく、これからの時代、選手個人がスポンサーも探して、自由にコーチを選べたり、練習したりできる環境が必要になってくると思うし、なおかつ自分の環境は自分で作っていく、そういう環境になっていくと思います。欧米ではこのパターンが多いですが、まあ、日本人が一番苦手なことだったりするので、さきがけになれればいいなと。だから今は、清水さんと一緒に二人で合宿やったり。彼も実業団の選手ではなくて、僕と同じ立場なんで。それは実業団チームにいたら実現できなかったことですよね。 
 フリーになって最初の一年は、環境を整えるのに大変で、どちらかというと練習に打ち込めた年ではなかったんですが、人とのつながりを実感できて、人生的にプラスになったと思います。そして今、やっと足場ができた状態ですね。だからあとは、トリノオリンピックに向けて、自分でやるだけ。とにかく頑張るだけです。

■今井裕介、αGELYOYOにこだわる

今年の5月に清水さんと合同で合宿をすることになって、その拠点が千倉のホテル「イソラ・ベッラ」だったんです。そこで、オーナーから「こういうマットがあるんだよ、使ってみる?」って紹介されて。とりあえず、ボディケアに関しては、何でも試してみることにしているので。「じゃあ、試します!」みたいなね。そしたら、すごく寝れたんですよ!熟睡で。僕は枕が替わると寝れないタイプなんですけど。練習や試合で、結構いろんな地方に行きますが、まずビジネスホテルが嫌なんです。何故かというと、ベッドマットが傾いてるんですよ。TVの方向に向かって斜めになってるんです。皆、TVを見る位置に腰掛けるからだと思うんですけど。  
僕、ものすごくそれが気になるんですよ。そうするともう、寝れない。寝る前に確認して、斜めになってたらマットをひっくり返したりとか。勝手に(笑)ビジネスホテルのベッドを自分でベッドメイキング(笑)よくやります。だから寝具に関しては結構シビアなんです。
 で、αGELYOYOに関しては、何も感じずに熟睡。包み込まれるって、こういうことなのかなって思いました。それからはもう、その感触がないと寝れないくらい。先日、北海道で合宿した時も寝れなくて…途中でαGELYOYOの三つ折を合宿先に送ってもらったくらいです。  これから海外の合宿にも送ろうと思ってます。とりあえずは10月から長野で始まる全日本の合宿に持ってきますよ(笑)僕的にはそれぐらい大ヒットでした。本当に深く眠れるし。
 僕は貧血体質で、練習がこんでくるとすぐ貧血になってしまう。どんなに鉄分をとってもだめ。それって疲れすぎて寝れなくて、疲労が取れないせいでもあったと思うんですよ。でも、αGELYOYOで寝るようになってから変わりました。どんなにきつい練習をしても、ぐっすり眠れるから朝の目覚めもいい。疲労も残らない。
 あとは、腰痛サポートという意味では、僕より妻のほうが感激してます。妻は背中から腰にかけての湾曲がひどくて、痛くて眠れなかったんですよ。つらいつらいって毎晩言っていて。それがαGELYOYOを使うようになってから、やっぱり熟睡できるようになった。マットレスをαGELYOYOに代える以外のことは何もしていないのに、それまでずっと悩んでいた腰痛がよくなった。これはすごいことですよ。
  クールピローレギュラーも愛用してます。がんがん練習をした後って、身体が火照って寝れないことが良くあります。そんな時、クールピローレギュラーがあるとないとでは相当違う。暑いのは身体全体なんですけど、頭部から熱を吸収するだけでも、こんなに違うんだ!と実感しました。なので、クール系でなにか、足に使うものなんかがあればいいな、といつも考えてますね(笑) これからトリノに向けて海外での合宿が増えます。αGELYOYOは本当に持っていくつもりですよ(笑)トリノオリンピックの目標はずばりメダルですから、しっかり練習して、疲労回復して、がんばります。応援よろしくお願いしますね。

今回今井選手にインタビューさせていただいた場所は Cafe Hotel Isola Bella  カフェ ホテル イソラ ベッラ (αGELYOYO体感ホテル)
季節を問わずサーフィンなどのマリンスポーツが楽しめ、トレーニングにも最適な千倉リゾートのカフェホテル「イソラ・ベッラ」。 インテリアからアメニティグッズまですべてが“癒し”をテーマにピックアップされおり、 αGELYOYOを設置している部屋もございます。http://www.breath1.net/isolabella/

プロサーファー 吉川祐二さん


プロサーファー 吉川祐二さん
千葉県千倉町のHOTEL「isora bella」にて、αGELYOYOをご使用いただいているプロサーファー・吉川祐二さんにお話をうかがいました。サーフィンとの出会いやその魅力、腰痛との関係など、吉川さんの声をお届けします。






【プロフィール】
吉川祐二 1976年4月15日生まれ
2004年ロングボードランキング1位
国内外のツアーを転戦しながら、 サーフショップ等で一般に向けたティーチングも行っている。

■吉川祐二 サーフィンとの出会いから現在まで
サーフィンを始めたのは中学3年生のときです。友達と何人かで始めました。実はそれまでは、サッカー少年でした。約10年くらい続けてたんじゃないかな。でも、サーフィンを初めてやったときに、何で今までサッカーやってたんだろうって思いましたね。すごく気持ちよくて。何か、ピッタリきた。すぐに波に乗る楽しさに夢中になりました。高校生になってから更にのめりこんで、卒業してからプロになりました。プロになったといっても最初はスポンサーもつかない。だから最初の何年かは、短期のバイトをよくしてました。何年か経って、大会で上位に食い込んでくるようになってからですね。スポンサーがつくようになったのは。
 現在は、国内にいる間は、実家のある鎌倉市稲村ケ崎と、ここ千葉県千倉町とを行ったりきたりしています。3年位前から、練習のために千倉に家を借りています。鎌倉は波が立ちにくいので、いらいらしちゃうんですよ。αGELYOYOは、千倉の家に入れています。
  ツアー中は転戦が続き、いろいろなところで寝泊りしますが、一番身体が休まるのはαGELYOYOのある千倉です。あとは、ツアーで海外のいろいろなところに行きます。毎年冬には2,3ヶ月長期滞在します。ハワイとか。サーファーにとってはメッカですから。とにかく波がいい。取材や撮影もその時期が多いです。

■αGELYOYOとの出会い

αGELYOYOを使い始めたきっかけは、スピードスケートの清水亮平くんからの紹介です。彼が以前、千倉の僕の家に泊まりにきたときに、αGELYOYOの三つ折を持ってきたんですよ。それで寝てみたら、はまりました。1週間くらいたって、これはいいと思いました。今は転戦で海外に泊まるとき、違和感を覚えるくらいです。熟睡できないって言うか。αGELYOYOだと目覚めがいいんですけどね。
  特に、千倉にいる間は、清水亮平くんのほかに、同じスケート選手の今井裕介くん、清水宏保くんと一緒に、激しいトレーニングに参加させてもらっているので、熟睡や疲れを取るうえでαGELYOYOは愛用です。みんなαGELYOYO使ってますよ(笑)
 彼らとはとてもいい関係で、僕がトレーニングに参加させてもらう代わりに、サーフィンを教えてあげてるんです。彼らは、きついトレーニングの合間に、リラックスするためにサーフィンをしている。激しいトレーニングのあとに、いきなり身体を休めるよりも、有酸素運動などに移行して、身体をリラックスさせるほうがいいみたいですね。そのときは僕がアドバイザー。板を選んであげたり、いい波のポイントを教えてあげたり。逆にトレーニングでは、僕が学ばせてもらっている感じです。走りこみや、自転車こいだり。今までそういった基礎体力のつけ方などは、きちんと学んだことがなかったのでいい勉強です。お互いが必要としていたというか。お互いに足りない部分を補い合って、理想的な関係ですね。

■サーフィンとボディケア

サーフィンは、波に乗れてる時間は短いんですよ。パドリングがほとんどすべて。バランスのスポーツですね。身体にも相当な負担がかかります。僕の場合は、特に肩甲骨の下の部分から背筋にかけて痛くなります。ボディケアは、ストレッチとか。マッサージとか。それ以外に特別なことをやっているひとは、あまり聞きません。あと、サーファーには腰痛の人ってめちゃくちゃ多いんです。ベルト巻いて波に乗ってる人もいる(笑)理由はいろいろあると思いますが、一番は寒さですね。オールシーズン、冬でも海に入りますから。僕は冬はハワイに行くからまだいいけど、冬場、国内を動けない人とか、水が冷たいじゃないですか。あとは無理な体勢とか。サーフィンでは仕方がないことなんですが。ほとんど腰痛なんじゃないかな。サーファーで、キャリア10年とか言うひとで、腰痛じゃない人って少ないですよ。あんまり聞きません。サーフショップの店長とか、みんな腰痛です。
  普通、スポーツってハードなトレーニングをするプロが身体を壊すでしょう?腰を痛めたり、肩を壊したり。でも、サーフィンだと、一般の人のほうが、より身体が悪かったりする。プロではない、一般の方々って、普段は仕事をしていますし、ボディーケアのことまで考えていない。ストレッチすらしない人もいる。あと、移動が多いですよね。車で都心から地方まで2.3時間かけてくるじゃないですか。その間、座りっぱなしでしょう。最悪ですよ。長時間かけて、車で海に行って、身体を冷やして、また座りっぱなしで家に帰ってきて、次の日仕事でしょう?おまけに途中で車の中で仮眠する。身体はぼろぼろですよね。なので、僕は個人的にはαGELYOYO車マットを作ってほしいです(笑)サーファー腰痛対策として。 一般の人はプロに比べて、自分の身体をケアするって意識もないから。もう、ほんとにαGELYOYOを勧めたいですね。サーフィンは生涯スポーツです。70歳で波に乗る人もいます。長く続けるためには、身体をケアは大切ですね。

今回吉川選手にインタビューさせていただいた場所は Cafe Hotel Isola Bella  カフェ ホテル イソラ ベッラ (αGELYOYO体感ホテル)
季節を問わずサーフィンなどのマリンスポーツが楽しめ、トレーニングにも最適な千倉リゾートのカフェホテル「イソラ・ベッラ」。 インテリアからアメニティグッズまですべてが“癒し”をテーマにピックアップされおり、 YOYOを設置している部屋もございます。http://www.breath1.net/isolabella/

プロゴルファー 芹澤信雄さん


プロゴルファー 芹澤信雄さん
αGELYOYOマットレスレスを2004年からご愛用いただいている芹澤プロに、お忙しいスケジュールの合間にお話を伺ってきました。






芹澤信雄
所属:株式会社サンエー・インターナショナル
生年月日:1959年11月10日
身長:173cm、体重:68kg
血液型:AB型
出身地:静岡県御殿場市
趣味:スキー(国体出場の経験あり)、車
優勝:13回(ツアー5勝)

■ゴルフは体調管理が重要なスポーツ
プロスポーツである以上当然体調管理は重要ですが、年齢を重ねるにつれ、それを実感しています。ゴルフは他のスポーツに比べて激しくないので長い年月できるスポーツですが、野球などのチーム競技と違って、補欠がいるわけでもなく、自分の代わりがいないスポーツ。孤独なスポーツです。だからこそ特に自己管理は重要だと思っています。 今、一番気をつけていることはいかに体を故障しないで、ベストな状態で試合に臨むかということですね。疲れだけは残さないようにしています。疲れを取るには睡眠が一番。睡眠不足は集中力を欠いてしまうので、すごく重要です。若いときは多少の寝不足でも大丈夫でしたが、歳をとってくると、睡眠不足は集中力を欠きますね。

■αGELYOYOマットレス、αGELYOYOクールピローレギュラーの感想

αGELYOYOの前は他メーカーの寝具を使っていました。でも、サイズが小さくあまり良さも感じていませんでしたね。αGELYOYOに変えても、最初は何も感じなかったんですが、αGELYOYOで寝れば寝るほど、αGELYOYOの良さを感じます。家では爆睡するのですが、なんでこんなによく眠れるのかな?やっぱ家だからかな、と思っていましたが、実はαGELYOYOのおかげだったんですよ。不思議と変に寝返りをうたないし。セミダブルサイズっていうのも、広くていいですよね。
できれば毎週のツアー先にもαGELYOYOを持って行きたいですが、個人のスポーツなので全部個人で対応しなければいけないし、毎週試合会場が変わるので移動も多く、そのたびに送りの手配を自分でやるのは大変ですよね。キャディバックも大荷物ですからね。それに、行き先のホテルの状態がわからないから、持っていたけどマットが入らないってこともありますからね。
でも、マットは今はどこのホテルも結構硬めになっているのですが、枕はホテルによって高さが違ったり硬さが違ったりするので、これはだめだなと思って、マイ枕を持って行きますよ。今まではそんなことを考えませんでしたが、首とかの疲れも気になるので。枕が合わないとショットの姿勢も悪くなるかなと思っています。
試合後、興奮してテンションがあがって眠れない時は、爆睡できないと疲れがとれない、だから余計眠れないという悪循環に陥りがちですが、マイ枕を持ち歩くようになってからは、マイ枕だから眠れるという心理的な好影響を感じています。

■αGELYOYOマットレスはこんな方にオススメ
自分が使うようになってから、ゴルフをやっている人には勧めています。後輩が泊まりに来たときにはαGELYOYOに寝かせてあげています。メンタル的なスポーツだからこそ余計に睡眠に気を使って欲しいですね。歳をとってもできるスポーツですから、若い時から体に気をつけて欲しいです。自分が若い時にはこんないいものなかったですからね。それと、激しいスポーツをする人には特にお勧めします。
あとは、寝ることによって血液の循環がよくなって、痩せることもあるのではないかと個人的には思っていますから、女性の方にもお勧めしたいですね。

■今後の抱負

自分は体があるほうではないと思っています。大きい体のプロゴルファーが飛ばすのは当然ですが、プロゴルファーの中では小さめの自分が飛ばすと、アマチュアの方も『お!俺もできるんじゃないか』と思ってくれます。だからこそ、自分がこんなことに気をつけているということも伝えていきたいと思っています。これからもアマチュア代表のつもりでがんばります。

スピードスケート 清水 宏保さん


清水 宏保
1974年2月27日北海道帯広市生まれ。スピードスケート選手。
幼稚園からスケートを始める。1991年帯広の白樺高校3年の時、浅間選抜500mで36秒98の日本高校新記録を出し、全日本 スプリントで総合4位に入り脚光を集める。以来長年に渡り、日本そして世界のスピードスケート短距離界の第一人者として活躍中。自身2度目のオリンピックとなった長野オリンピックで500m金メダル、1000m銅メダル、ソルトレークシティーオリンピック・スピードスケートで500m銀メダル獲得。世界距離別選手権では、1998年〜2001年4連覇。2001年大会では34秒32の世界記録を樹立。
現在、NEC スケート部在籍。

■清水宏保選手の公式ブログ
http://shimizu.at.webry.info/

αGELYOYOとの出会い
僕がはじめてαGELYOYOマットレスに出会ったのは、2004年5月。国内合宿のために行ったホテルのベッドの上に敷かれていたんです。その時期は、シーズンを迎えるための身体作りを目的とした激しい練習と、スケートの独特なフォームからくる負担が腰に集中し、かなりの痛みを生じていました。それを知ったホテルのオーナーが、僕のためにαGELYOYOを用意してくれていたんです。気持ちは嬉しかったけど、正直なところマットレスぐらいで・・・っていう気持ちもありました。

ところが、ちょっと寝転がってみてその心地よさにびっくりしました。そのホテルには2ヶ月ほど滞在していたんですが、抱えていた腰痛を抑え万全な体調管理を行うことが出来ました。なにしろ、どんなに激しい練習を重ねた日でも次の日にその疲れが残らなくなったというのが実感です。これをきっかけに、睡眠も重要なトレーニングの一部と考えるようになりました。



αGELYOYOは僕の眠りをサポートしてくれる
僕は、自宅や遠征先でもαGELYOYOを愛用しています。2ヶ月間合宿所で使用したαGELYOYOの心地良さを身体が体感していたので、自宅のベッド用にもαGELYOYOを購入しました。僕の場合は、合宿やレースなどで国内はもとより海外に行くことも多いのですが、国内外問わず移動先にはαGELYOYOを持って行っています。

現在ではあれほど悩まされていた腰痛の症状もかなり改善されました。レースで好成績が残せるのもαGELYOYOのおかげだと思っています。もちろん、この先も大きな大会で記録を狙っていきます。



疲労が抜けない。腰痛で悩んでいる。そんな人におすすめしたい。
αGELYOYOに出会う前の僕は、疲れなんて眠りさえすれば取れるもの。疲れが取れていなかったら、それは睡眠時間が足りなかったから、そんなふうにしか考えていませんでした。でもそれは大きな間違いだったのです。同じ睡眠にも、身体のためになる睡眠と、身体のためにならない睡眠っていうのがあるんです。あくまでも僕の個人的な体験談ですが、ただ眠っているだけで疲労や腰痛から開放される喜びは何ものにも変えられません。

僕は腰痛や疲労で悩んでいるアスリート仲間たちにも率先してαGELYOYOをすすめています。いまではたくさんのαGELYOYOマットレス仲間が増え、皆から感謝されています。もし、疲労や腰痛でお悩みの方がいたら体感していただきたいです。